大黒日記その3  天の領分

冷房がガンガンきいた場所にいたあとは、必ず関節痛に悩まされる。だから、真夏でも七分袖は外せない。

縫い物をしようとしても、針穴に糸を通すのが最初にして最大の難関。

テレビに映る人を観て、「あ、この人知ってる。・・・でも、名前なんだっけ。」

ここ一・二年、だんだんこんなことが増えてきた。

でも、そのたび思う。「まあ仕方ないよね^^」

三十代までは、「あきらめる」ことはずるいこと、と思っていた。

「為せば成る」が信条で、自分ががんばればなんとかなるものだと信じていた。

高一の倫理社会の授業。仏教について学んでいた時のことを覚えている。

「生老病死って、病や死はわかるけど、生や老も苦しいことなんや。」

十六歳の頃の青かった私、まあそれはそれで仕方ない。

がんばってがんばって、それでも思い通りにいかないと、自分を責めたり周りのせいにしたり。

流れに逆らって泳ぐように、「何とかしよう」と抵抗していたことを思い出す。

でも不思議なことに、四十代になってからは、少しずつものの見え方が変わってきたような気がする。

マラソンの復路にさしかかって、来た道を逆方向に走ると、同じ場所を走っているのに風景がちがってみえる。たとえるならそんな感じだろうか。

子どもの成長、親との死別、自身の体調の変化。

いくら自分ががんばったところで思い通りにはならないことが、日々積み重なっていく。

その過程で、知らず知らずのうちに体感していたのかもしれない。

この世には、天の領分とでもいうべきものがあるんだな、ということを。

たとえば前半戦が0から100をめざして走るコースとするならば、後半戦は逆に100から0に還っていくコース。

いただいたものをひとつずつ手放して、出来ないことが増えていく。そして、全てをお返しする最期の時までの道のり。

お釈迦さまが説かれたように、それは「老」を日々「生」きていく、苦しい行程なのだろう。

こんな人生の後半戦を生きる極意は、「あきらめる」のではなくて、出来ない自分を「うけいれる」。ここらあたりにあるんじゃないかな。

半世紀を生きてきた今では、こう感じている。

二十年後三十年後、自分はどうしているんだろう。

理想は高く、吉沢久子さんのようなおばあさん。でも、なれなくてもそれはそれでかまわない。

第一、生きながらえているかどうかもわからない。

そこはまさしく、天の領分なのだから。

ならば自分にできることとして、「まあ仕方ないよね^^」と笑いながら、機嫌よく日々を重ねていきたい、と思うのだ。

———今日はあんまりはかどらなかったね。でも大丈夫。それでいいよ。

———失敗しちゃったね。でも仕方ないよね^^。

自分にも人にもちょっと甘いぐらいの匙加減。

これからの人生、これぐらいがきっと、ちょうどいい加減。