空海の入定伝説に想う

今年は弘法大師空海のご誕生千二百五十年の年に当たります。高野山をはじめとする空海ゆかりの真言宗寺院では、記念の法会が盛大に催されました。

ご存知のとおり、空海には今なお生き続けているという入定信仰があります。一般的に入定とは禅定(瞑想)に入ることを指しており、空海は入滅(逝去)したのではなく入定しているとされているのです。

かつて内閣総理大臣を務めた近衛文麿が、空海の廟所である高野山奥之院に参拝した時のこと。近代真言宗の高僧と呼ばれた金山穆韶師に案内され、「空海は永久に入定したまま、今もなお衆生済度のために尽力している」との説明を受けたのですが、近衛は一笑に付しました。その夕べ、金山師が近衛を訪ね、さらに入定の由縁をじゅんじゅんと説いたところ、近衛は従者にこう話したそうです。「ともかくよくわからないが、老師の努力と信念には感心した」。このエピソードは、宗門および大師信者の弘法大師に対する信仰を代弁したものといえるかもしれません。(「沙門空海」 渡辺照宏・宮坂宥勝著)

二十数年前、私は檀信徒と共に弘法大師空海が祀られる奥之院を訪れました。鬱蒼とした木立に囲まれた中、視界を遮るように無数の石塔が建っています。見えているものだけでもおよそ二十万から三十万基。地中に埋まっているものを入れると実に百万基にもなると聞き、「昔の人々は、こんな山上にどうやって石を運び入れたんだろう」と息をのんだものでした。

この奥之院には、ある言い伝えがあります。はるか未来の五十六億七千万年後、弥勒菩薩がここに如来となって現れたとき、空海が如来の説法を衆生に伝える役目を果たすのだ、というものです。さらには多くの信者の人々がこの場所でその時を待っており、奥之院に建つ石塔は、そのひとりひとりを表しているのだ、とも。重機もない時代に労苦を厭わず巨石を運ばせたのは、かくも篤い信仰心だったということでしょうか。

空海は入滅から八十七年後に醍醐天皇から弘法大師という大師号を賜わりました。この号は「人を導く偉大な指導者」という意味で、日本では二十五人の宗教者に授与されています。しかし「大師は弘法に取られ」という言葉があるように、弘法大師の名は宗派や歴史を超えて際立っています。大師号を下賜されたことで空海は永遠無二の存在となり、入定信仰の完成を見たといえるのかも知れません。

奥之院の御廟の軒下には、実は握りこぶしほどの大きさの穴が空いているそうです。そして空海の魂はその穴から抜け出て、日々自らの旧跡に現れると言われています。また四国八十八ケ所は今も大師が修行を続けているとされ、ここ奈良にも四国を模した大和北部八十八ケ所霊場があります。その第十四番霊場がここ空海寺です。近年は空海を慕い、朱印を求めて、遠方からもたくさんの方々が寺を訪れてくださるようになりました。こんなにも空海は人の心を惹きつけてやまない存在なのだと、寺号をいただいた唯一の寺として、改めて実感している次第です。