大黒日記その2 忘れ得ぬひと
その頃、仕事帰りに月2回ほど、私は彼女の家に立ち寄っていた。
看板もなにも出ていない、小さな平屋。
彼女は口コミで女性のみに施術する鍼灸マッサージ師だった。
歳は私よりも五つ六つ上だったと思う。
慢性肩凝り症の私には、マッサージが欠かせない。
そして小さな身体、小さな手で、ていねいにもみほぐしてくれる彼女の腕前は、なかなかのもの。
今から思うと、ホントに人柄のにじみ出たマッサージだった。
回数を重ねるうち、私たちは次第にうちとけていき、私がお手製のお菓子を携えていっては、つい長居をしてしまうこともふえていく。
照明を落としたオレンジ色の部屋の中、彼女のマッサージと彼女との語らいに仕事の疲れを癒やしていた、あの頃だった。
「あのね、私、写真展に入選したんだよ」ある日、彼女がうれしそうに報告してくれた。
「えっ?写真?」私は、思わず出かかった次の言葉を飲み込んだ。
彼女が持ってきてくれたフレーム入りの写真。
そこには、開いた障子の間から今まさにこちらに歩いてこようとしている一匹のワンちゃんの姿が収められていた。
そして写真につけられたタイトルは、「前進」。
私はようやく気づいて、バカな自分に苦笑い。
ああ、そうだった。
彼女はそういうひとだった。
わかっているつもりだったのに、私はわかっていなかった。
またある時は、彼女ご自慢のタンスの中を拝見させてもらった。
ずらりと、かつ整然と並んだ色とりどりのセーター。
二十枚ほどはあっただろうか。すべて彼女の手編みのものだった。
「うわ~、すっご~い」
針仕事は好きなのに、編み物はからっきしという私は、まさに圧倒されてしまった。
「でも、こんなにたくさんあるのに、着る時どうやって選んでるん?」と尋ねる私に、
「触れば分るよ。だから大丈夫」彼女はこともなげに、さらりと言った。
そうこうしているうちに、私は結婚が決まった。
でも、そのことをなかなか彼女に言い出せない。
そして、いよいよリミットという時になってようやく打ち明けた。
と、彼女はたちまち満面の笑みを浮かべて、「おめでとう~」
そして、タンスをごそごそしていたかと思うと、小さな人形を手渡してくれた。
それは、親指ほどの大きさのキューピーちゃん。
彼女手編みの黄色いシャツに赤いサスペンダー、そして赤い帽子までかぶった、それはそれはキュートなキューピーちゃん。
そうだった。
やっぱり彼女はそういうひとだった。
わかっているつもりだったのに、私はわかっていなかった。
なかなか言い出せず、ひとりで勝手にためらっていた私。
そんな自分の小ささを、恥じた。
そのあとのことは、残念ながらはっきりとは思い出せない。
結婚後は以前のようには通えなくなり、そして退職し———。
もうあれから二十年以上の時が経つ。
そして彼女を思い出すことも、ほとんどなくなっていった。
でも、あのキューピーちゃんは今も私のそばにいる。
娘が小さい頃、「これ欲しい~、ちょうだい~」とずいぶん泣きついてきたけれど、
「これはとっても大事なものだから」と言って、断固守り通したのだ。(私よ、よくやった!!)
そんなこんなで、キューピーちゃんは私のデスクの引き出しの中、今日もパッチリオメメで笑いかけてくれている。
そして今、気がついた。
そうだった。
彼女はそういうひとだった。
その両眼は光を失っていたけれど、大きな瞳をキラキラさせていつも笑っている、彼女はそんなひとだった。
どうしているのかなあ。
きっと今も、ていねいにていねいにコリをほぐしているんだろうなあ。
編み物の腕は、ものすごいことになっているんだろうなあ。
そして変わらず、あの頃のままでいるんだろうなあ。
サラサラと笹の葉擦れが耳に心地良い。
太陽が雲に隠れ、レースのカーテンが風にそよいでいる。
なつかしいひとの記憶には、まわりの風景をもやさしくしてしまうような、そんな不思議なちからがあるのかもしれない。
今日は七月七日たなばたの日。
どうぞ彼女が元気で暮らしていますように。