父のイラスト

この色紙は私が父の遺品整理をして見つけたものだ。古びてガラスが割れた水屋に、ホコリをかぶった書類やら不用物が詰め込まれており、その中に紛れていた。

アマチュアの洋画家でもあった父は、40歳代の終わり頃に脳溢血で倒れ、言葉と身体の自由の一部を損ねた。これを描いたのはそれよりもずっと前で、このときの父は健康で生命力にあふれていただろう。芸術作品を目にすると、まるでその人がそこにいるかのような感覚が湧き上がってくる。私にとっては、元気な父に久々に出会ったような新鮮な喜びだった。あいにく作品の保存状態が悪く、ところどころ剥げていたので、スキャナーで修復をほどこした。

このイラストは、東大寺法華堂(三月堂)の月光菩薩を素描したものである。昭和40年代の中頃、父は三月堂の責任者を任ぜられた。二月堂での護摩祈祷が父の仕事だったが、どういうわけか三月堂の主任に移動することとなり、それまでの仕事から離れることになった。三月堂では特にすることもなく、手持ち無沙汰な日々が続いていたのかも知れない。その頃のことについて父は多くを語らなかった。一級の天平仏と向き合う日々が日常になり、洋画家として才能が刺激されたのか、この頃から仏像の絵を描くことが一挙に増えた。多くの絵が描かれたはずだが、父はキャンバスの古い作品を塗りつぶして新しい絵を描いたので、手元には当時の父の作品は殆ど残っていない。

思いがけず見つけたこの月光菩薩の素描。一筆でさらりと描かれているのが気に入って、散華に用いたが父ははたしてどう思うだろうか。