大黒日記その4 夏を見送る
「夏」と聞いてまず私が思い起こすのは、小学生時代。
その頃、夏休みのほとんどを、母の郷里である伊万里で過ごしていた。
宿題の絵日記やドリルを鞄に詰め込んで、姉とふたり、夜行寝台で西へ。
早朝5時に博多で下車する私たちを心配して、車掌さんが起こしに来てくれたこともある。
そして伊万里に着いたあとは、いとこたちとただひたすら遊び回る日々。
毎日が楽しくて楽しくて、父母には申し訳ないほどホームシックとは無縁の時間だった。
たとえばある日は、太腿あたりまで池の水に浸かりながら、夢中でメダカやオタマジャクシを獲り続けた。
ある日には、砂埃舞う道端にゴザを敷き、市(いち)を開いたことも。よろず屋で買った袋菓子を小分けにして、ちり紙に包んで並べる。と、たまに通りかかる車がかなりの高確率で豆商人の店に停まってくれた、あの時代。ただし、叔母に知られてしまった私たちは、あとでこっぴどく叱られることとなる。売上金は仏壇に納め、「もうしません」と合掌して終わった、ほろ苦い思い出だ。
またある時は、「蛇の抜け殻を探しに行こう」と話がまとまり、夏草が生い茂る山の中へと勇んで繰り出した私たち。手足が草で切り傷だらけになったことを覚えている。だが、どうしてもわからないことがひとつ。蛇の抜け殻を集めて、私たちはいったいそれをどうするつもりだったのだろうか。
「昭和の子ども」だった私の夏は、こんなふうに日々過ぎていった。
なにか面白いことはないかな、と、それだけを考えて、野山を駆けまわっていた。
昨日も明日も関係なく、ただ毎日、「今」を楽しんでいた。
入道雲の背後にどこまでも高く広がる、青い空。
畑から採ってきて、井戸水で冷やして食べた、真っ赤なスイカ。
目の前でみるみる捌かれていく鶏の、そのお腹から出てきた、ちょっと衝撃的な黄色の玉ひも。
セピア色に褪せることなく、鮮やかに今も残っている三原色のこんな記憶たち。
「必要なものが、手の届くところに、過不足なくある」———、こんな揺るぎない安心感に包まれて夏を過ごしていた私は、なんとしあわせだったことだろう。
そして、今年も8月最後の日となった。
BGMは台風の動向を告げるニュースに、弱々しく響く蝉のコーラス。
激務のうずしおからようやく抜け出して、凪の海を眺めているような気分を味わっている。
海外旅行はおろか、日々の買い物もままならない。
実家のお墓参りにも行けないし、同窓会の案内には欠席で返信した。
今の私の夏は、こんな夏。
ここ二十数回の私の夏は、こんな夏。
でも、多くの方々の支えをいただいて無事に務めを果たし、安らいだ気持ちで8月を終えることができるのだから、今も変わりなく私はしあわせものだ。
だから感謝の思いと共に、ゆく夏の後ろ姿を送りたい。
「ありがとう。また来年。ただ一点、暑さだけはもう少しお手柔らかにお願いね。」
明日から9月。
新しい季節がはじまる。