東大寺修二会(お水取り)満行お礼

 徒弟の真雅が令和6年の東大寺修二会(お水取り)に練行衆として参籠させていただきました。新入(しんにゅう)としての参籠でしたので、初めて向き合う修二会独特の複雑な所作や声明に戸惑うことも多々あったようです。が、3月15日に無事満行を迎えることができました。それもひとえに、東大寺の古練(先輩練行衆)のみなさまを始め、さまざまな場面で支えて頂いた方々のお陰と、心より感謝いたしております。

今はSNSを通じて修二会の様子を知ることができる時代です。加えてインターネットの動画配信では、会中を通して日々の行法がリアルタイムで中継されていました。私が参籠していた三十数年前では、想像もつかなかったことです。しかし時が移れど、練行衆の祈りの姿はなにひとつ変わってはいません。とりわけ3月12日深夜から明け方まで続くお水取りでは、令和にいながら時代不明の幽玄の世界に引き込まれたかのようで、千二百七十三回目という途方もない歴史の重みに改めて畏敬の念を禁じえませんでした。

牛玉誓紙(ごおうせいし)

また一般的にはお松明で有名な修二会ですが、初めて籠もる新入練行衆がすべきひとつに、牛玉誓紙という巻物に署名をすることがあります。有り難いお札である牛玉(ごおう)をみだりに刷らないことを誓約するもので、このしきたりは室町時代から約500年間続いています。紙が足りなくなるとその都度つぎ足され、歴代の練行衆名が一覧になった巻物となっているのです。参籠宿所で撮って頂いた写真には30数年前の私の署名や、父憲隆、祖父憲英の名も見えました。牛玉誓紙は一般に公開されることはありませんので、私が祖父と父の署名を見たのは初めてで、万感胸にせまるものがありました。

会中は長雨と寒い日々も多くありましたが、お水取りが終わると春が来るとの言葉通り、二三日前から一気に春めいてまいりました。二月堂からは修二会の気配はすべて消され、何事もなかったかのように元の姿に戻っています。しかし、この穏やかな二月堂は仮の姿。また来年の初春には、神仏や諸天、四天王や天狗が降臨し、水と炎がせめぎ合う激しい祈りの場となり、二月堂がその本性を現すこととなるのです。

住職日記

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