廻向のこころ

ある新聞の読者投稿欄に、こんな記事が掲載されていたそうです。

一人の女子中学生が、財布を忘れてバスに乗ってしまいました。バスの中には知り合いもなく、どうしていいか分からないまま時間だけが経過していきます。いよいよ目的地が近付いたとき、勇気をふりしぼって、運転手に成り行きを説明しましたが、運転手も困ってしまいます。 その時、ちょうど同じバス停で降りようとした“おじさん”が、女の子の話を耳にし、「私が貸してあげよう」とバス賃を払ってくれました。 女の子はバス停に降り、“おじさん”の住所と名前を聞こうとしましたが「私に返さなくていい。今日のあなたのように困っている人に遇った時、その人に返してください」と“おじさん”は名前も告げずに行ってしまいました。“おじさん”の行為に感動し、以来、女の子はバスに乗る時には、必らず多めの小銭を財布に入れている・・。こんなことが綴られていました。

一つの善行にたいし、その人にお返しをすれば、それで貸し借りはなくなって完結したものとなります。しかし、このバスの話のように、自分が受けるべきお返しを誰かにふりむければ、善行の連鎖が続くことを期待できるのではないでしょうか。こうした功徳が次々に廻って向かうことを廻向といいます。

仏事の追善廻向とは、故人に代わって施主が善行をおこない、それを故人へために振り向けるという意味があります。バスの話とは少し意味合いが異なりますが、一つの功徳がそれで終わることなく、次々に廻り向って一切のものに及ぶように。そして、自らを含めたすべての人々が仏の道を歩むことができるように。そういう願いを込めた回向文が、勤行の最後に唱えられます。

世の中が少しでも良くなるように、私達一人ひとりが”おじさん”と同じような廻向の心を持ちたいものですね。

 

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