居合道と私

大学時代に入門し、今年で早くも六年目になる居合道。うち一年間は高野山に籠っていましたので、実質の修練期間は五年間なのですが、先日大変うれしいことがありました。一月に行われた全日本居合道連盟近畿大会にて、四段の部で優勝することができたのです。大会には遠方からも多くの剣士が集まり、その中でいい結果を残すことができたのはとてもありがたいことでした。

私はまだまだ初心者の域を脱してはいません。ただ六年目のここに至って、大切なことに少し気づけたように思います。居合で本当に大切なことは何か。私が思うに、それは「今に集中する」ということです。そもそも日本刀が危険なものであるため、扱う際はしっかり集中していないと怪我をしてしまうというのは勿論のこと。しかしそれ以上に、集中することが大切である要因があるのです。

道場の門をくぐってから再三、師匠が私に教えてくださったことがあります。それは、居合道が「動く禅」であるということ。すなわち動の中に静を見つけるということですが、それはきわめて深遠な境地です。その静を感得するには、ただひたすらに今に集中し続け、一振り一振りに気持ちを込めて修練を重ねるよりほかにありません。

日本刀というものは非常に不思議なものです。振り下ろす際に力んだり気持ちが荒ぶったりすると、必ずといっていいほど刃筋がぶれてしまいます。逆に刃筋が綺麗に通る時は全身の余分な力はすべて抜けており、気持ちも落ち着いている状態にあります。自分自身をここまで如実にあらわす日本刀。侍たちが自身の愛刀をまるで分身であるかのごとくに扱った理由も、こうしたところにあったのでしょう。

仏教では、実践すべき六つの善行をまとめたものを六波羅蜜、涅槃に至るための修行の基本をまとめたものを八正道といいます。それぞれに六波羅蜜には禅定、八正道には正定があり、それらふたつは意味を同じくして、心を集中させることの重要性を説いています。「大切なのは過去や未来ではなく、今」居合道は私に、いつもそう教えてくれます。昨日や明日のあれこれに心が迷い、寄り道している時、私を今に立ち返らせてくれる道しるべのような存在、それが私にとっての居合道なのです。

素晴らしい師匠や仲間たちと共に、私はこれからも居合道を続けていきたいと思っています。