ワクチンは誰がために

 

「ワクチンは打ちましたか」というのが昨今の挨拶代わりだ。私は今年63歳で、ワクチン接種が優先される高齢者の範疇には入らない。しかし、社会の主力から外れたことを自覚する年齢なので、65歳で分ける今回のワクチンの区分けには、「まだ若いよ」と言われているようで面映い。

先日、68歳の知人から「お先に、ワクチンを打ってきます」というメールが来た。その「お先に・・」という言葉に、いつか読んだ特攻隊の遺書が、オーバーラップしてきて複雑な気持ちになった。ワクチンは、もちろん命を助けるためのものであるし、心配ならば拒否もできる。しかし、みんな一斉にというところに一抹の恐ろしさを感じたのだ。

昔は感染症が発生しても、原因や蔓延の防止方法もわからず、自然に収束していくのを待つしかなかった。現代では未知の感染症が発生しても、即座にその原因であるウイルスが突き止められ、ゲノムが解読されてワクチンが開発される。そしてまさに今、競うようにして世界中でそのワクチンが接種されている。

しかし考えてみると、同じワクチンを、同じ時期に、世界の人に接種しようとしているこの状況。およそ人類史において、このような事態があっただろうか。あの帝銀事件のように、これがワクチンを偽装した毒だったら取り返しのつかないことになる、などと想像は膨らんだ。何となく危機を感じて、知人にメールを返すと次のような返信があった。

為政者の本音は「ワクチンは、日本の国を助けるためのものである」というのが正しいかも・・・お国のためにワクチンを打つ、そう考えると冒頭の話題にかぶってくるのも納得できる。

ああ、ワクチンは誰がために・・・。