大黒日記その19  小さな万葉の庭へようこそ

この3月末、ようやく庭苑墓「はもれび」が完成した。

墓石のそばに花を植えこむ永代供養墓を、と着手して早4年あまり。

進んでは戻り、また進んでは戻り、を繰り返し、何も決まらないまま平成も終わってしまった。

でも、物事が順調に進まないのも決してマイナスばかりではない。

「思えばここは春日山の麓だし、天平時代の遺物も出土したところ。色鮮やかな花よりも、むしろ万葉集に歌われた花や木の方がしっくりくるのかもしれない。」

令和になってしばらくたったある日、こんなインスピレーションがふっと降りてきたのだから。

正岡子規は古今和歌集を技巧的と酷評する一方で、「愚直なほどに感情がありのまま表現されている」と万葉集を絶賛した。

確かに万葉集では、主軸となっている相聞歌や挽歌の中で、あらゆる階層の人々が恋人や家族への愛情をおおらかに詠み、有縁の人々の死に慟哭している。

愛と死。このふたつこそが、万葉の時代を生きた人々にとってなにより大切なものであった。

そして人々は移ろう人生の哀歓を詠む時、咲いては枯れゆく花木の姿に思いを重ねたのだ。

万葉集約四千五百首のうち、歌に植物が登場するものは千五百ほどもあると言われている。

馴染みのあるものではすみれ、桔梗、つつじ、紫陽花など。

それらにはいずれも目を惹くような華々しさはなく、どちらかと言うと素朴で地味な風情のものばかりだ。

でもそんな花たちだからこそ、万葉人のそばにそっと寄り添い、心慰めることができたのだろう。

たとえば天武天皇の娘大来皇女(大伯皇女)が大津皇子を悼んで万葉集に残した歌がある。

皇女が伊勢国で初代斎王として務めていた時、同母弟・大津皇子は謀反の疑いをかけられ、若くして自害してしまう。

任を解かれ都へともどった彼女は、愛する人への思いを繰り返し歌うのだが、その中の一首がこの歌だ。

「磯のうへに  生ふる馬酔木を  手折らめど  見すべき君が  ありとはなくに」

ーーー岩のほとりに咲く馬酔木の花を手折ろうとするけれど、それを見せるべき愛しい貴方はもうこの世にいないーーー

小花が鈴なりに咲く可憐な姿に、可愛くて痛ましい人の面影が浮かんだのだろうか。

弟の亡骸を二上山に葬る道中、馬酔木の花を目にした姉の抑えきれない哀しみがここに溢れ出している。

万葉集の真髄は「まこと」にあるとされているが、ならば万葉の花木とは「まこと」を表出させる存在だったのかもしれない。

撫子、かきつばた、ヤブラン、カタクリ、彼岸花。

どれをとっても、しっかりと根を下ろしつつやさしさを滲ませる、味わいのある花たちばかりだ。

そうした万葉の花々の小さな庭が、多くの方のお力をいただいてようやく形になった。

でも今は苗木を植えたばかりで、葉が茂り、花が開くのはまだこれからというところ。

「すっかり樹木が落ち着くまでは2、3年ほどかかります」と、造園家の先生もおっしゃっていた。

子育てが終わって、次は庭育てだ。

四季折々の庭の表情を眺めながら、これからは草木花のお世話に精を出そう。

子育てでは振り返って反省ばかりの私だが、今度のモットーは「無理せず気長に、でもやる時は目一杯ていねいに」。

そして時には手を休め、それぞれの花に託して歌い上げられた万葉人の息づかいにも耳を傾けたい。

生きる歓び、生きる哀しみをはるかな時をこえて万葉人と分かち合えるなんて、なんとロマンティックなことなんだろう。

 

ぜいたくな庭時間のはじまりに、ちょっとワクワクしている。

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