大黒日記その18 こんなはずでは
もともと猫は苦手だった。
近所の野良猫たちが境内にやってきては落とし物をしていくので、お掃除係のおばさんとしては迷惑以外のなにものでもない。
その上、天気のいい日には、東屋の屋根の上で寝転がって日向ぼっこだ。私がそばを通っても、逃げるどころか集団で見下ろし睨んでくる。そのふてぶてしさが憎たらしい。
そんなこんなで、我が家は断然犬が好き。猫を飼うことなんて1000パーセントない、はずだった。
だが、昨年夏のある日、出会ってしまったのだ。東屋の下で弱々しくうずくまっている、一匹の仔猫に。
それからというもの、私は仔猫のことが気になって、片時も頭から離れない。
様子を見に行くと仔猫はいつもそこにいて、しばしば成猫がそばに寄りそっている。おそらく母猫なのだろう。
が、やせ細ったその猫は、私に気づくと一目散に逃げていく。
そして仔猫はまたひとり残されて、夜中も次の朝もただそこでじっとしているのだった。
母猫は仔猫のことを気にかけている。だから、大丈夫。
でもあの痩せ方じゃ、ミルクも出ていないだろうなあ。
その証拠に、仔猫はずっと動くこともできずにいる。
このままだと、この子は……
でも、そもそも猫は苦手だし……
里親を探す?
でも、すぐにいい人が見つかるかどうかわからない……
どうしよう、どうしよう……
が、やがて、こんな堂々巡りにも疲れ果て、私は腹を決めた。
「あとのことはともかく、今やることをやろう。」
そして、近くの動物病院へと駆け込んだ。
重度の脱水、身体中をノミに吸われての極度の貧血。加えて、体温計に表示されないほどの低体温。
仔猫を診た先生曰く、「野良猫でもここまで状態の悪い子はなかなかいません。この三日がヤマですが、難しいかもしれません。」
先のことばかり心配していた私は、予想外に厳しい先生の言葉に驚いた。
命が危ういギリギリのところで、この子はひとりで耐えていたんだ……
それなら、これからの三日間をこの子のために使う。そう決めた。
二日後には私の検査の予約が入っていたのだが、とても行けそうにない。延期してもらおう。
真夏に湯たんぽで身体を温め、砂糖水とミルクを一時間ごとに飲ませ、徹夜で見守ること二晩。なんとか持ちこたえたか、と安堵した。
が、三日目の晩。急に呼吸が荒くなり、シリンジで飲ませていたミルクも全く受け付けなくなった。力が入っていない身体は、抱きかかえてもダランと垂れ下がってしまう。
やがて明け方には虫の息になり、私もいよいよ覚悟を決めた。
気づけばその日は、お大師さまのご縁日の21日。そして先代住職も私の父も21日に亡くなっている。
うちの寺に縁があった仔猫だから、やっぱり今日逝ってしまうんだろうか。そう思うと、もう涙が止まらない。
小さな箱の中、瀕死で横たわる仔猫に「ありがとう、ありがとう」と語りかけながら、私はその身体をひたすら撫で続けた。
と、どのぐらい経ったころだろうか。予期せぬことが起きた。突然仔猫がパッチリ目を開き、起き上がったかと思うと、箱から出ておしっこをしたのだ。
「えっ」という驚きとともに「まだ間に合うかも」というかすかな希望が湧き上がる。時は日曜朝八時。でもいつもの動物病院は、日曜午前中は診察があるっ‼
そうして肺炎に罹っていた仔猫は、再び死の淵から生還した。
「もう情が移っているでしょうが、里親探しはどうされますか?」
先生に尋ねられて、答えた。
「この子はうちの子にします。これからも一緒にいます。」
帰り際、初めて渡された診察券。そこには「みかんちゃん」と、我が家の仔猫の名前が記されていたのだった。
こうしてみかんがやって来て、もうすぐ七ケ月になる。
ひと月延期して受けた検査の結果、私は思いがけなく手術を受けることになってしまった。
季節を味わうゆとりもないまま、私の前を通り過ぎてしまった昨年の秋。
が、そんな時、いつもそばにいてくれたみかんに私はどれほどの癒やしと力をもらったことだろう。
「きっとそのために、みかんは出会ってくれたんやね。」こう言いながら、やわらかい身体をぎゅっと抱きしめる。
でもやっぱり、そこは猫。するりと腕を抜け出し、たちまちタンスの上に飛び乗って、みかんは私を見下ろしてくる。
そのドヤ顔が可愛くてたまらないし、そう感じる自分がおかしくてたまらない。
だって、こんなはずではなかったんだから。
私はずっと、猫が苦手だったんだから。
人生ってホント、わからないものなんだニャー。