毎年7月23日と24日は地蔵盆で、境内にあるお地蔵さんには町内の多くの皆さまからお参りをいただきます。例年、本堂で数珠繰りと西国三十三箇所御詠歌を唱えるのですが、今年は新型コロナの影響で規模を縮小して行いました。

地蔵盆なのに、阿弥陀仏を称える数珠繰りや、観音菩薩霊場の御詠歌をお唱えするとは奇妙ですが、誰も不思議に思うことなく昔から続いています。地蔵や阿弥陀や観音も、現世も過去世も来世も、現世利益や先祖供養も渾然一体となった融通無碍の祈りの場です。

庶民の信仰をあつめる仏様にもいろいろな方がおられますが、阿弥陀さまとお地蔵さまでその違いを見てみましょう。阿弥陀さまは極楽浄土の教主で、如来という最も完成された尊格です。マラソンで言えば、はるか昔にゴールして向こう側から私達を手招きしている存在。一方でお地蔵さまは菩薩。菩薩とは修行中の仏様をさしますが、ただの修行中の仏さまではありません。私はいつも高橋尚子選手の例を出して説明しています。高橋尚子さんは言わずと知れたオリンピックの金メダリストですが、その高橋尚子さんが市民ランナーとして参加された大会がありました。本気で走るのではなく、他の参加者にスピードを合わせて皆を励ましながら走る、これが菩薩の役割です。

住んでいるところも違います。阿弥陀様のすみかは極楽浄土。すべてのものが完成されて一切の苦しみがなく幸福に満ちた清浄な世界です。一方地蔵菩薩の住まいは私達の住むこの五濁悪世の娑婆世界。娑婆とは辛抱しないと生きていけない苦しみの多い世界のこと。私達の住むこの娑婆は釈迦以後、弥勒菩薩が如来となって出世するまでは無仏の時代といわれています。その間に人々の救済を託されたのがこの地蔵菩薩。悪趣を住みかとし罪人を友として、娑婆世界で泥にまみれながら人々を救済するのが地蔵菩薩の真骨頂なのです。

ご利益も違います。阿弥陀様はすべての人を極楽に往生させる仏さま。誰も地獄に落とさないようにするのがその役目です。一方、地蔵菩薩の本領は地獄に落ちて苦しんでいる人を救うこと。ときには地獄にまで赴いて、苦しんでいる人の身代わりとなってまで救済します。代受苦というのがそのキーワード。他の仏様には見られない地蔵菩薩の特徴です。観音菩薩も人気の高い現世利益の仏ですが、こういった泥臭さはありません。また、地蔵和讃にあるように、早世した子供が賽の河原で石積みをしているのを地蔵菩薩が守護することや、今昔物語によると地蔵さんは子供の姿で現れるなど地蔵と子供は縁が深いと信じられています。やがて子供の守護神として広く信仰を集めるようになったのは御存知の通りです。

地蔵盆が行われているのは京都や奈良地方のみ。地域の人が集まってお地蔵さんの番をしながらの世間話や、お下がりのお菓子を待つ子どもたちの姿も微笑ましく、地蔵盆は本格的な夏を迎えるこの時期の風物詩となっているのです。