昔の僧侶は偉かった😓

 12月21日、東大寺不動堂をお借りして、恒例の「年越し護摩祈祷」を行いました。多くの檀信徒の皆様にお参りいただき嬉しいかぎりです。

 ところで護摩とは密教(真言宗や天台宗)に伝わる諸願成就の秘法です。護摩木を煩悩に見立て、仏の智慧を象徴する火炎で焼き尽くすのです。

 真言宗には八千枚護摩という一番の荒行があります。三週間をかけて連日護摩を焚き続け、最後の日には一日で八千枚の護摩木を焚きつくすのです。食事もはじめの一週間は精進で三食摂りますが、次の一週間は斎食、つまり正午以降は飲食をすることはできません。最後の一週間は斎食のうえに米・麦・粟・豆・黍などの五穀を断って護摩を焚き続け、最後の日には絶飲食で八千枚の護摩木を燃やし尽くすというのものです。

 なぜこんなことをするのでしょうか。じつは、この行には僧侶が命を終える時の作法が秘されているのです。僧侶は死期を悟って命を終える時、八千枚護摩を焚くときのように食物の摂取をだんだんと少なくし、最後には飲食を断って枯れ木が倒れるがごとく命を終えるのが理想とされています。その時のために、事前に修練を行なっておくのがこの八千枚護摩なのです。

弘法大師空海も断食をしながら命を終え、西行法師も「ねがはくは 花の下にて春死なん そのきさらぎ(2月)の望月(満月)の頃」と詠んだように、自らの死期を釈迦の命日(2月15日)にあわせて生涯を終えたそうです。つまり、病院でベッドに横たわり、手当を受けながら死ぬのは僧侶の最後としてはご法度😥 昔の僧侶は偉かったと思うばかりで、食べたいだけ食べている私からは想像もできません。

 本年もブログをご覧いただきありがとうございました。来る年が皆様にとって幸多い年であることを祈念いたします。合掌