大黒日記その1 父の毛布
もう6月も終わろうとしているのに、今年はいつまでも朝晩が肌寒い。
おかげで、一枚だけまだ毛布を片付けられずにいる。
やわらかな毛布のぬくもりの中で目覚めた朝、ふっと父を思い出す。
小さな脳梗塞の発作を重ねて、少しずつ心身の自由を手放していった父。
そんな父のために、身づくろいにますます気を配るようになっていった母。
「元気じゃないからこそ、ちゃんとしたものを着させてあげないと。」こう言って、母はせっせと良質のシャツやセーターを買い込んできた。
さながら英国紳士のごときいでたちで、小さな歩幅を刻みながら歩いていた父の姿。
今、思い起こすと、ちょっぴり切ない。
ある日、母が一枚の毛布を買ってきた。
「わあ、こんな毛布、見たことない!」思わず言ってしまったほどに、光沢、色合い、手触りともにステキな一枚だ。
それから3回の冬を、父はそのぬくもりとともに過ごした。
そして、父が逝って6年。
その毛布は今、毎日私をすっぽりと包んでくれている。
ベッドに入って寝付けない日などは、ついつい父のことを思い出す。
家の中に男ひとりで、ほんまはさびしかったんかなあ。
いつもひとりで、すきな歴史の本ばっかり読んでたなあ。
もう少し、いろんなこと話してあげたらよかったかなあ。
でも、子どもたちといる時がいちばんうれしそうやったし、近くにいたからしょっちゅう顔を見せてあげられたし、それって結構親孝行してたってことかなあ。
父の最期のひとときに寄り添ってくれた一枚のおかげで、今さらながらあれやこれやと父につぶやいている私。
そして、いつしか眠りの底へとおちていく。
朝6時、アラームのメロディー。
しばしぬくもりの中を漂ったあと、気合いで起き出し、階段を降りながら、
「やっぱり片付けるのは、もうちょっと先でもいいな。」
こんなふうに一日が始まっていく、今日このごろ。
大雨は困りものだけど、梅雨の肌寒さはもう少しだけ味わっていたい。
父を近くに感じる季節が、少しでも長くとどまっていてほしい。
そんなことをふと思う、小雨降る静かな時間———。