平成31年3月8日(金)午後より墓友交流会”わがんせ”を開催しました。今回は第一回目と同様、お水取りについてお話をさせていただきました。多くのお申込みをいただき、”わがんせ”開催以来はじめて、出席者を制限しなければならなくなりました。

思えば私が練行衆として出仕させて頂いた最後の年は平成4年でした。それ以来27年のブランクがありますが、お水取りの季節になればその当時のことが鮮やかに蘇ります。

お水取りは、仏教や神道、古密教や民俗芸能の要素が渾然一体となった法会です。はてはゾロアスター教の影響まで指摘する研究者もいるくらい独特の魅力に溢れています。お水取りの魅力に取りつかれ、数十年も通い続ける方も珍しくありません。お松明だけではないお水取りの魅力の一端を、私なりにお話させていただきました。

お水取りは正式には修二会といい、インドの年始めと言われる2月に、新年の除災招福を祈る法会です。修二会は罪の償いを仏に懺悔する”悔過”、除災招福を仏に祈る”祈願”、魔を退ける”咒禁”という三つ要素から構成されています。中心となるのは祈願ですが、それが成就するよう悔過をし咒禁を行います。悔過や咒禁は祈願が成就するよう行う作法でが、正式には十一面悔過法と呼ばれる、この二月堂修二会の法要の肝は悔過であります。つまり、仏に対して罪の償いを行うことこそ法要の全てである。そういった考えが修二会にはあるように思えます。

本日、三月八日で、下七日と呼ばれる後半に入りました。お水取りの声明や所作は、日により時間により複雑に変わってきます。時には間違えたりすることはありますが、周りの練行衆からフォローがあるのと、行ってきた準備が十分であれば、まるで何事もなかったかのように修復して進んで行きます。練行衆の結束と自らの準備が十分であったことがわかる一瞬で、これもまた練行衆としての醍醐味だったりするのです。