大黒日記その16  お盆のおはなし

今年は酷暑の八月を迎えていますが、皆さまいかがお過ごしでしょうか?
こちらはお盆が近づき、早朝よりお墓参りの方々がお見えになる毎日です。

ところで、この「お盆」ということば。
私たちは当たり前のように口にしていますが、元来どんな意味が込められたものなのでしょうか。

 

語源は盂蘭盆(うらぼん)経というお経にあります。
一説によると、盂蘭盆とはサンスクリット語ウランバナの音写語とされていますが、意味するところはなんと「逆さ吊り」。
どうして?
なぜにお盆が逆さ吊り?

そこは後述するとして、お釈迦さまの十大弟子のひとり、目連(もくれん)尊者にまつわる故事が書かれていますので、まずはそこから触れてみたいと思います。

生前欲深いところのあった目連の母は、死後餓鬼道に堕ち、飢えと渇きに悶え苦しんでいました。
それを知った目連は、おのれの神通力を使って一杯の水を送るのですが、母が口にするとたちまち水は熱さで煮えたぎってしまいます。
孝行息子の目連は苦しむ母をなんとか救いたいと願い、泣きながらお釈迦さまにことの様子を話しました。が、そこで目連がお釈迦さまから聞かされた話とは——。

夏のある日、通りすがりの人が目連の母に一杯の水を求めました。
その時、水瓶の中にはあふれんばかりに水が満々と。
けれども母は何度請われても、最後まで水を差し出そうとはしません。
そして母は言いました。
「この水は目連のための水なのです。」

続いてお釈迦さまは説かれました。
「お前の母は罪深いことをした。とうていひとりの力で救うことはできない。だから僧侶の修行期間である夏安居が終わった7月15日に大勢の僧侶を招き、あらゆるご馳走を施しなさい。布施の功徳は尊いから、そうすることでお前の母は餓鬼道から救われるであろう。」
このお釈迦さまの教えのとおり目連が実践したところ、母はようやく餓鬼道の苦しみから逃れることができました。
そしてそれを見た目連は、大喜び。うれしさのあまり、踊りだしたということです。

 
なるほど、盆踊りの由来がここにありました。
今後は目連のエピソードを思い出しながら、盆踊りの輪に加わるのも楽しいかもしれません。

そしてやっぱり気になるのが、「逆さ吊り」です。
目連の母が堕ちた餓鬼道には、さまざまな拷問の苦しみが待ち受けていました。そのひとつが逆さ吊りだったのです。
あるお経に「慳貪(けんどん)の者、餓鬼道に堕つ」と記されているように、人としてあるべきではない、正反対の在り方を生きた者たちは、死後餓鬼道へと送られていきました。
しかしながら、慳貪とは欲深く物惜みすること。これは誰もが思い当たる、私たちの身近な一面でもあります。
ですから、何も目連の母が特別な悪人だったということではありません。私たちの先祖の中に餓鬼道で苦しんでいる方々がいるとしても、何ら不思議はないということなのです。

 

ならば現世を生きる者たちにできることは、少しでも亡き人々の霊魂を救い慰めること。
こうして、霊界から祖先をお迎えし供養する盂蘭盆会の風習が生まれたのでした。
また、合わせて無縁仏や餓鬼道をさまよう精霊たちをも救済すべく、同じ時期に施餓鬼会が行われるようになりました。文字どおり餓鬼に施すためのこの行事は、各地で受け継がれ今日に至っています。

 

 

お盆には帰郷して懐かしい人たちに会い、ご先祖さまに思いを馳せる方も多いことでしょう。
日ごろは目の前のことに追われ慌ただしく過ごしていても、自分をとりまく繋がりを感じ、ご先祖さまに合掌するだけで、それは今の自分に向き合う機会となります。

自分はどこから来て、今ここにいるのか。
自分は今、逆さまの生き方をしてはいないだろうか。

こんなふうに、一年に一度自分を見つめ直す時間として、お盆を過ごしていただけると幸いです。
そろそろ帰省ラッシュが始まる頃となりました。
皆さま、どうぞお気をつけてお帰りください。