大黒日記その13 地蔵盆の夜
ここ奈良の旧市街では、七月二十三、二十四の両日、お地蔵様の縁日で賑わいを見せる。
路傍にさりげなく佇むお地蔵様。
そのそばにお供え物が積まれ、提灯が吊され、人の輪ができる。
同じ奈良でも新興住宅地で育った私には、それは結婚後初めて目にする光景だった。
空海寺では二十三日の夜、地蔵盆法要を執りおこなう。
本尊の阿那地蔵菩薩にご挨拶をしたあと、まずは数珠繰りが始まる。
集まった町内の方々が円座になり、念仏を唱えながら数珠を廻していく。
もちろん普通の数珠ではなく、直径二メートルほどもある大きなものだ。
多くの人が一緒になってこれをやることで、願いが成就する百万遍念仏と同じだけの力を持つとされてきたという。
地蔵信仰に地域の繋がりが結びついた、この風習。
年齢を重ねると共に、その意味や味わいがだんだんわかるようになってきた。
それが終わると、続いてはご詠歌。
住職が鳴らす涼しげな鈴の音に合わせて、三十一文字の巡礼歌が堂内に響く。
古く平安時代に起源を持ち、中世に広まったという歴史豊かな伝統文化だが、メロディはなんともまったりとした単調なものだ。
明るいようでいて、どこかもの哀しさをも漂わせている。
だが、なじみやすい旋律にのせて仏の教えを歌い上げる、という手法は、実にうまくできていると思う。
これまで連綿と歌い継がれ、今日にまで至る理由も、おそらくここらへんにあるのだろう。
ご詠歌を吟じながら、古人の知恵深さにしばし思いを馳せた。
宵に始まる地蔵盆も、終わる頃にはすっかり闇に包まれて、ロウソクの炎がぽっかり浮かび上がる。
橙色に照らされた矢田地蔵尊に合掌すると、まるで吸い込まれるように心が落ち着く。
——きっと、この夏も大丈夫。こうしていつも、守っていてくださる———-。
不思議なほどに、こんな思いがじんわりと充ちていく。
提灯の灯りに帰り道を導かれて、そろそろ散会の時間。
こうして今年も、地蔵盆の夜は終わったのだった。