大黒日記その11  ビートルズになれなくても

ピート・ベストのことは、つい最近まで知らなかった。

インディーズ時代のビートルズにドラマーとして参加。しかしデビュー直前に突如解雇され、リンゴ・スターにそのポジションを明け渡してしまう。

こんな、伝説の「5人目のビートルズ」。

解雇のいきさつについては、いろんな説があるらしい。

自殺を図ったり、職を転々としたり、とピートは苦しんだ。

だがやがて、市役所職員の仕事を得て長く勤め、退職後には再びバンド活動に専念したという。

こうして数行にまとめただけでも、なんともほろ苦い気持ちになってしまうピートの半生。

どれほど悔しく惨めな思いを味わったことだろう。

だが、そんなピートの、娘とのやりとりがたまらなくステキだ。

「パパはビートルズだったの?」

「ビートルズを追い出されたから、パパはお前たちとここにいる。パパはそれでハッピーなんだよ。」

話はぐっとスケールが小さくなって、私の受験生時代へとさかのぼる。

当時の私には、夢に出てくるほどに行きたくてたまらない大学があった。が、悲しいかな力及ばず、その願いは叶わなかった。

入学した大学では、「こんなとこ、来たくなかった」という誰にも言えない思いをしばらくくすぶらせていたものだ。

が、卒業してから数年後、その大学で出会った友人が紡いでくれた縁のおかげで、私は夫と巡り会う。

私は、自分の「今」がとても気に入っている。

住んでいる奈良という土地に、自分の仕事。

家族、友人、寺に有縁の方々や近隣の方々。

私を囲むこれらの風景が大好きなので、もし「何かひとつ、望みどおりのものに差し替えてあげよう」と言われても、丁重にお断りしたい。

そして、「今」につながるこれまでの道をふり返る時、若い日のささやかな挫折が分岐点になっていたことに気づく。

やっぱり、あそこで躓いてよかった。

あの時、思いが叶わなかったから、今、私はここにいる———。

結局のところ、何が正解か不正解か、その時には誰にもわからない。

たとえば、かつて私が憧れた大学に今では娘が通っている。

楽しげな大学生活の話題に「へえー、そうかー」と耳を傾けながらも、時々「いいなあー」と羨ましがってみたりする毎日。

私にはこれがちょうどいい。

私にはこれが正解だ。

そして誰の人生にも、きっと不正解はないのだろう。

いや、起こることすべてが時間と共に醇化され、やがては正解になっていく。こういうことなのかもしれない。

ビートルズになりそこねたピート・ベストという人。

彼が愛娘に語った言葉は、まろやかなメロディーのように今も私の心に響いている。