大黒日記その9 父への手紙
あの日からもう七年近くが経ちましたね。汗といっしょに体が溶け出してしまうかも、と思うほどに暑い夏の朝でした。私は今、春まだ浅い静かな午後にこの手紙をしたためています。
病を得て十年余り。終わりの見えない坂道を緩やかに、でも確実に下っていく。そんな日々の果てに訪れた、お父さんとのお別れでした。正直な話、お母さんが坂の途中で「しんどいわ」とこぼしたことも二度三度。でも、お父さんに寄り添う時間をたっぷり与えられたおかげで、あの頃のあれやこれやも今ではいい思い出です。
最後の半年ほどはほとんど意識もないままで、病院に行ったところでできることなど何もなかった。ただひたすら、薄くなったお父さんの掌を握り、骨張った頬をさすって、「お父さん、ありがとう」と耳元でささやくこと。私にできることは、それだけでした。
そんなある時、「ありがとう」の声に応えるかのように、お父さんの目から涙がスーッと流れ落ちたことがあったんです。言葉はかわせなくとも、ちゃんと聞こえている。ちゃんと伝わっている。そう実感できたことが、またこの上なくありがたくて。
それからほどなくして、お父さんは静かに息を引き取りました。それにしても、信奉していたお大師さまのご縁日の二十一日に逝くなんて、最期までなかなかやりますね。
思えば人生の復路にさしかかったあたりからでしょうか。心の奥底から湧き上がるような「ありがたい」という感情に、しばしば気づかされるようになったのは。
昔はわがままで傲慢で、お父さんにも心配かけました。
二十代の頃などは、夏と冬の長期休暇に入ると「地球の歩き方」を片手にバックパッカーに早変わり。異国をうろついてばかりいましたっけ。
お父さん、あんたの留守中心配して、「香港はひとりで大丈夫か。怖いんとちがうんか」って何回も私に電話してきたわ——、後で、姉からこう聞かされたこともありました。
私には何も言わず、送り出してくれたお父さん。時には空港まで車で送ってくれたり迎えに来てくれたりもして。
でもそれはきっと、私を信じてくれていたからではありませんか。
あの頃はお父さんの気持ちなんて、これっぽっちも考えていなかった。でも今は、痛いぐらいにわかるんです。
お父さんの遺影は、自宅で過ごした最後の夜、子ども達と一緒に撮った一枚から選びました。三人の笑顔の中でも、お父さんのそれがいちばん弾けていましたから。
そういえば、二人と過ごす時はいつも目を細めていましたね。遺影を見るたびに「少しは親孝行できたかな」なんて、密かにうぬぼれている私です。
どうですか。二人とも、なかなかいい子に育っているでしょう。幸いなことにパパに似て、どちらも気持ちの優しい子です。
どんどん自分の世界を広げ、飛び立っていく二人。その背中を、今では私が見送る番になりました。
うれしさ半分、さびしさ半分といったところでしょうか。
でも私は、とにかく二人を信じていこうと決めています。そう、お父さんが私を信じてくれたように。
何も言わずに、ただ信じていればいい——。
お父さんが私に教えてくれた、大切な大切なことです。だから、私がつい余計なことを言ったりしないよう、あのとびきりの笑顔で見守っていてください。
でもね、本当のことを言うと、私にはできる、そんな自信も持っていたりするんです。だって私は、あなたの娘なんですから。
そして最後にあらためて。
お父さん、ありがとう。
本当に、ありがとう。