祖父のお水取り

関西地方に春を呼ぶ行事と言われる、東大寺二月堂のお水取り。一般には3月の初日から行が始まるように思われているが、じつは別火と呼ばれる前行が2月20日から始まっている。お水取りに用いる道具の準備や声明の練習など、戒壇院の庫裏に練行衆全員が集まって合宿生活をするのが別火である。3月の初日を迎えるまでの約10日間に、全ての道具の準備を調え、意気を高めて本番を迎えることになる。別火とは、竈(かまど)など生活の中心にある「火」を、俗世間とは別にして精進潔斎することからそう呼ばれる。

祖父は大正14年から昭和9年まで、ほぼ毎年の7年を練行衆として参加させていただいた。現代の練行衆は総勢11名で、時代によっては人数が足らずに、興福寺や西大寺など、南都の寺からの応援を得てつとめたこともあったらしい。戦争中は、行中に赤紙が来て練行衆が招集されたこともあった。二月堂が火事で焼けてしまった江戸時代は、別のお堂に場所を移して勤め終えたのだった。お水取りは、西暦752年から一度も欠かさずに勤められ、いつしか不退の行法と呼ばれるようになった。2021年で連続1270回目だ。

この集合写真は昭和5年に撮影され、私の手元に伝わっているものである。いつ頃からか、毎年練行衆の集合写真が撮られるようになった。こちらから見て一番右側の最前列が、私の祖父の森川憲英である。そしてその左隣が、現東大寺第223世別當、狭川普文猊下の御祖父の狭川明俊師である。そのほかにも、今の東大寺の僧侶方の祖父の世代が顔を並べておられる。91年の時を隔てても、現代にまで続く人の繋がりを感じて感慨深い。

下の写真は、当時と同じ場所で撮影したものである。祖父は私が生まれる14年前に亡くなっている。祖父がいた場所に立ってみると、正面の湯屋という建物が視界のほとんどを占めることがわかった。祖父と同じ風景をみて心が通じた気がした。

(二月堂参篭宿所の階段下)