いのちとはなんでしょう。私たちの身体に宿っているはずのいのち。しかし、これがいのちだと取り出すことは出来ません。それでは、こころとはなんでしょう。こころもまた、いのちと同様に、見ることもとりだすこともできないのです。私たちの身体に宿っているはずの、掛け替えのないいのちとこころ。仏教とは、そのいのちとこころについて考える宗教です。
たとえば、こころについて考えてみましょう。仏教には一水四見という教えがあります。一つの水という存在も、私たちが見れば普通の水にしか見えません。しかし、天人が見ると瑠璃に、餓鬼が見ると燃えさかる炎に、魚が見ると自分の住処である宮殿に見えるのです。同じものを見ても、それを見る人の立場の違いによって、全然違うものに見えるということを示した教えです。そして立場の違いとは、こころの違いです。
仏教では、ものには固有の実体がなく、他の存在との関係の上になりたっていると考えます。すなわち、何に見えるかは、その人のこころのありようにより、こころが対象をつくりだすのです。私が美人と感じる人でも、他人が見るとそうは感じないということもあります。反対に、他人が美人だと感じても、私はそうは思わないこともあるでしょう。こころが違えば、違うものを見ているのですから、むしろ当然なのです。
人の数だけこころが存在するとすれば、私たちはそれぞれのこころが創り出した、それぞれの世界に生かされていると言えます。これが仏教の基本的な考え方なのです。