私たちの社会には、様々なルールがあります。それらは個々人の意識を向上させ、集団生活が規律よく、円滑に運営されるよう設けられていると言えるでしょう。仏教にも、お釈迦様が定められた戒律というものがあります。戒律は宗派を問わず、全ての仏教徒が守るべきものとされ、戒律に誓いを立てることにより仏教徒と認められるのです。
その中で、最も重要なものの一つが不殺生戒です。他の生命を奪ってはいけないというこの教えは、仏教ではもっとも大切で基本的なものです。法句経には「全ての生命は暴力におびえている。自分も殺されることを恐れるのであれば、他の生命も殺されることを恐れている。殺してはならない。殺させてはならない。」と説かれています。この教えの元になっているのは、自分がされて嫌なことは、他にしてはならないという倫理です。こういった倫理は、仏教のみならず、世界中の多くの思想や宗教に共通しています。
一方、現代社会に目を向けると、近年、あまりにも簡単に人の命を奪う、凄惨な事件が増えています。混迷する世の中で、自分の存在価値を見失い、他人を傷つける事によってしか、それを確認することが出来ない―。自分が作り上げた身勝手な理由で、人の命を奪うことについて何のためらいもなく、反省を求められてもその心すら持てない―。その上、死刑になることもいとわず、むしろ、自ら望んでいる人がいることに慄然とさせられます。他人の命は言うに及ばす、自らの命でさえ軽んじるような兆しがある今の社会には、不殺生の教えは、ますますその重要性を増してゆくことでしょう。
また、私たちは、生きるためには、他の生命を犠牲にしなければなりません。まさに、生きるという行為は、自分がされて嫌なことを、他の生命に対して為し続けることに他なりません。そう考えれば、不殺生戒とは、戒を破らなくては生きられない自分の存在と、生かされている命の意味を知り、それを深く懺悔するために設けられたものだと言えるかも知れません。その上で、自らの生き方を省みて、より良い生き方を求めてゆく。不殺生の教えとは、まさにそこにあると言えるのではないでしょうか。