それぞれの華

明けましておめでとうございます。

新年早々、少々古い話で恐縮ですが、SMAPのヒット曲「世界に一つだけの花」が、僧侶の間で話題になったことがありました。作詞をした槇原敬之が意識をしていたかどうかは知るべくもありませんが、仏教の世界観を見事に表現していたからです。花はひとつ一つ違うけれど、競い合うこともなくそれぞれの花がかけがえのない価値を持つ。これはまさに、華厳経の教えと一致しています。華厳経のエッセンスを表現した言葉に雑華厳浄(ざっけごんじょう)という言葉があります。私たちひとりひとりは姿形や個性は違いますが、そのひとり一人が輝ける華となって存在し、理想的な世界をかたち作っている。そう教えているのです。人間だけではありません。世の中の全てのものが、何一つとして不用なものはなく、たとえ一塵の塵であっても全宇宙と同等の価値を持つ。それぞれがかけがえのない価値を持ちながら相互依存の関係にある。それが華厳経の説くところです。

お経が違っても教えは一緒です。たとえば阿弥陀経には、極楽の蓮がそれぞれ固有の色を放ちながら、光り輝いているさまが表現されています。また、大日経に説くマンダラは、姿形の違う仏さまが、おのおの調和しながら世界を荘厳しているさまを表現した図像です。比べることなくお互いがそれぞれの違いを認め尊重し合う世界。それが仏教の目指す理想的な世界です。

同じ教えが何度も登場する理由はなんでしょうか。それは、普段私たちがそういう生き方をしていないからです。また、一度聞いたくらいでは、生き方を改めることが出来ないからです。たとえば、私たちはひとつの価値観に基づいて色々なものを比較しランク付けをしてしまいます。日常生活を営む上では仕方ありませんが、そういったランキングも絶対的なものではなく、ひとつの見方でしかないという視点が不可欠です。なぜなら、価値観が変わればランキングも変わってくるからです。世の中の全てのものが、何一つとして不用なものはなく、それぞれがかけがえのない価値を持ちながら世界を飾っている。そこを間違わないように、手を変え品を変え、お釈迦様は何回もさとして下さっています。一面的な見方や自分本位の考えかたは、人同士であれ国同士であれ、他を否定することであり自らが否定されることです。分かってはいても、なかなかそうならないのが凡人の悲しさですが、少しでもお経の示す世界に近づくようになりたいものですね。