手縫い、手編み、手作り。

子どもの頃からこうした言葉が好きだった。

「手」という一字が付いていると、そこに作者の存在を感じて、単なる無機的なモノとは思えなくなってしまう。

中学・高校時代、私のいちばんの自慢は、洋裁が得意な伯母が縫ってくれた制服だった。

 

 

ある日、電車でうとうとしていてハッと目が覚めた。私の前に立つ女性のバッグが、ちょうど目の高さにある。それは繊細な模様が鮮やかに縫い描かれたエスニック調の刺繍のものだった。

「どこのだれが、こんな手仕事をしたんだろう」

たちまち私の目は釘付けになる。

——アジアのどこか小さな村。

陽が射し込む明るい部屋で、女性たちがにぎやかに笑い合いながら?

それとも薄暗い中、あどけない少女が学校にも通えずに縫ったんだろうか。

そしてそれははるばる海を越え、今、昼下がりの電車に揺られている——

刺繍から漏れる息づかいに、こんな空想の旅をしたこともあった。

 

 

また私が二十代半ばの頃、腰椎麻酔による手術をうけた時のこと。

痛みはないが意識はある、という術式のはずだった。

が、何かの理由で麻酔が十分に効かなかったのだろう、意識はあるが痛みもある、という状況に私は置かれてしまった。

内臓が引っ張られるような、経験したことのない痛覚。でも下半身はしびれていて動くことはできない。こんな中で、私はただ「痛い痛い」と呻き続けるばかり。

だがその時、ひとりの看護師さんが最後までずっと、私の手を握っていてくれたのだった。私はすがるように力いっぱい握りかえすことで、なんとかあの時間を耐えることができた。今でもそう思っている。

手術の傷跡はうっすらと残るのみだが、あの温かい手の記憶はしっかりと刻まれている。

 

 

手助け、手当て、手術。

永らく人の手によってなされ、ありがたく受け取ってきたこれらは、今後徐々にロボットに代替されていくのだろう。時代状況から見ても、それは自然な流れであると思う。

だが医療や介護の現場でロボットが活躍しているニュースを見聞きするたび、その精巧さに驚きながらも一抹の寂しさを感じてしまう。

人はホモ・サピエンス——知恵を持つヒト——として進化しつづけてきた。が、それ以前にホモ・クーランス——互いに癒やし配慮し合うヒト——として在る、とも言われている。

体温あるがゆえに、私たちは誰かのために動き、その体温にこそ私たちの心は動かされるものなのだろう。

一方、当然のことながらロボットには効率性や利便性という利点はあっても、体温を感じることはない。そんな機械に対して、「うれしいなあ」「ありがたいなあ」といった思いはわき上がってくるものなのだろうか、と気になってしまうのだ。

世話、心くばり、気づかい。

こうした領域までを明け渡してしまう時、人は人である意味を見失ってしまうのかもしれない。その時、私が力いっぱい握ったあの手は、どこかにあるのだろうか。

 

 

十九世紀アメリカの詩人エミリー・ディキンソンは、こう謳う。

「もし私がひとりの生の痛みを和らげ、

ひとりの苦しみをさますことができるなら、

気を失った一羽のコマドリを巣にかえしてあげられたなら、

私が生きることは無駄ではないでしょう」

 

 

だれかの手を握り、時には雛を巣にかえすこともできる、この手。

これから時代がますます尖っていこうとも、手の持つ力が色褪せることはないと信じたい。

ホモ・クーランスとして、この手で最後まで何ができるのか。それを大切にしていきたい。

なぜなら、手ほど手っとりばやく相手に体温を伝えられる手段は他にはないと思うから。

 

 

今日はこの秋いちばんの冷え込み。

さてこれからひと手間かけて、家族が大好きなボルシチでも作るとしようかな。